宝塚に恋をして

私が恋した宝塚について徒然に。。

「蒼穹の昴」大劇場新人公演を観てきた話 ~波線上7人について~

本当に本当に全員が大健闘の素晴らしい新人公演でした。

新人公演は当然、本公演より様々な面で拙いけれどその足りなさを補って余りあるほどの若いエネルギーでそれぞれの役へ全力でぶつかってゆくので、本公演とはまた違う感動や満足感がある公演だなと思う。 そして、作品によってはその青さや若さ作品とうまく融合して相乗効果となるのだけれど思いのほかこの「蒼穹の昴」はそれが映える作品で新人公演と相性が良い作品だった。

全員に言及したいのはやまやまだけれど、まず波線上のメンバーについて。

 

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

【文秀_華世】

彩風さんも華世くんも声が高めなのでその点では無理なくできるだろうなと思っていたけれど、ここまで似るのかと驚いた。声質違うのに。

彼女は最初(CHの新公)から本役を踏襲した上で自分なりの役作りをしていて、本役の模写(これを否定している訳ではなく)となることがなかったんだけれど、憧れている人だからなのかだからこそ解釈が一致したのか、時折声のトーンや台詞回しがまんま咲ちゃんという瞬間が何度かあって驚いた。声質が似ていると思ったことはなかったんだけど歌も似ているところがあった。

彼女は最初からスターで、スターであることに疑いの余地がないのでこの初主演も研3なのに全く時期尚早という感じがなかった。

実際、観客が手に汗握るような場面は全くなくて真ん中いることの違和感のなさと安定感にあらためて稀有なスターであることを確信させるすごさがあった。。

彩風さんの文秀よりも若くて青臭さがあって、誰かを説得しようと必死になっている姿が印象的だった。 胡同で春児と言い争うところや、順桂との対峙の場面での一本気で懸命な感じがすごく心に残って、新公で初めて文秀はこんなにも人と言い争っていたんだということに気が付いた。

そして、文秀という人間の至らないというか人間臭い部分を初めて感じて。トップさんが演じるとその存在感やカリスマ性で見落としがちな部分が浮かび上がってきたように感じた。これは新公の面白さ醍醐味だな。

文秀の人としてまだ青さの残る部分が軸となり、この新人公演というTHE青春な公演の性質と上手く融合できたのも良かったんだろうな。

歌が少し不安定かなとかなくはなかったけれど、あまり気にならない程度で総合力の高さをひたすら感じた。皆が憧れるようなバランスの取れたまあるい人だなって。

だから、この演目で新公初主演なのは大正解だと思ったしさせたくなるのもわかる。すごく合っていた。

 

【春児_一禾】

きっと全く問題ないんだろうなと思っていたけれど、何の不安もなく彼女の春児を見せてくれた。

胡同で文秀と道を違えてしまう場面で本役よりも幼く作っていたのは、新公の文秀が本役よりも若かったからバランスを取ったんだろうな。

ジャンプに出てきそうな少年感の強い、冒険に出かけて行きそうなきっと何が起きてもへこたれない太い強さを感じる春児だった。

 

【玲玲_音彩】

まいちゃんが可愛いことは誰でも知っていることだけれど、やっぱり可愛かった。そして声が美しいヒロイン声なのは本当に耳心地良い。

玲玲の銀橋ソングで入りの部分は幼さと純真さがあらわれていたんだけど、「地平の彼方を~♪」のフレーズからうちに秘めた強い熱さが歌声に乗せて広がってきて胸に響いて思わず泣きそうになってしまった。

歌が上手いのもODYSSEYで周知されたけど、気持ちを歌に乗せるのも上手いんだな。

彼女はお姫様系娘役はではなく、戦う系娘役なのであのフランス人形のような外見をしているのに民衆がハマる。そういう意味でも熱い想いを胸に秘めた自分の人生は自ら掴んでいく強さを秘めた玲玲だった。

 

李鴻章_咲城】

彼女の今までをあまり知らないのだけど‥声や立ち姿からまんまかちゃ?と思うくらい似ていて驚いた。かちゃの声って特徴的だと思うんだけど真似られるんだ。

この前はこっちゃんの青年の役だったけれど、こういったお役の方が合うのかしらと感じた。イケオジめちゃくちゃかっこよかったです。

 

【順桂_紀城】

今までは本役さんを完コピしてきた印象だったけれど、今回は技術面を考えても無理だろうからどう作ってくるんだろうと不安と楽しみ半々でいたんだけど彼女なりの順桂を作り上げてきていて、相当高く感じたハードルを軽々飛び越えた姿に頼もしさを感じた。そらぴの順桂を踏襲しつつも彼女なりに解釈をした順桂像が見えたのは個人的に大きな収穫だったように感じた。

 

【光緒帝_聖海】

原作を読んだ時にイメージした優しく賢い青年皇帝のイメージままだった。少し小柄なこともあり原作にあった乾隆帝のマンパオがブカブカというエピもすごくしっくりきた。

思わず庇護したくなる優しさの滲む皇帝で、西太后が愛するのも皆が彼のためにと働くのも納得のいく皇帝だったな。個人的にすごく好みな光緒帝でした。

 

【ミセスチャン_愛陽】

毎回本役とは違うアプローチで役を作ってるなと感じる役者さん。今回もみちちゃんのミセスチャンで妖艶で謎感が強めで良かった。

載沢殿下とのやり取りが同期同士で遠慮がなかったこともあってかすごく愉快で楽しくて良かったな。やってるほうも楽しそうだった。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

今回、本当に全体的に良かったけれど傑出した出来だったのは主演の華世くんだと思う。

全てのタカラジェンヌは宝だということは前提として、やっぱり素晴らしいトップさんの誕生というのはその後の宝塚の集客や知名度等を左右する存在なので、宝塚の一ファンとして感じたのは華世京は雪組のみならず宝塚の宝だということ。

研3で初主演なのに良い意味で初主演らしさが舞台からは感じられず、安定感すらあったところだけでも大器だし(珠城さんもそんなだったな‥スカピン主演時)、出来上がっている感はあるのに無限の伸びしろを感じるのは今後、男役としてどう成長していくだろうわくわくするし、一方で人懐っこい子犬のような愛らしさと一生懸命さはつい応援したくなる人としての魅力を備えているなって感心するので、良いところが潰れずにすくすくのびのびと育って欲しいなということを願うばかりです。

心中・恋の大和路 ~忠兵衛の存在感~

1幕、特に前半の忠兵衛はあまりパッとしない。何度見てもパッとしない。

それが2幕では生き生きと輝いていて。しかも破滅へと向かわざるを得なかったんだということが1幕でのエピソードの諸々から納得してしまう。

2幕の説得力が1幕にあることに2幕になって気が付いて唸ってしまった。

 

1幕で登場してきた忠兵衛は白いお化粧も相まってか物凄く違和感のある存在に感じた。特に亀屋において。

亀屋の主人の筈なのに亀屋にいる姿が一番違和感があるからか、そら忠兵衛は養子に貰われてきてから真剣に商売をやってきた感じが一切なかった。

番頭の伊兵衛が上手く取り仕切ってきてくれていて名ばかりの主人だったんだろうなとしか思えなかった。

それはおまんとのやり取りからも感じたことで、商売において頼りになるという存在感が一切なかった。

 

壮忠兵衛と天舞音おまんのやり取りは、自分の仕えているお店の主人に褒められたのが嬉しくて更に頼まれごとをされた特別感もまた嬉しくてという感じが表れていたから、亀屋の中心にいる主人という存在感があったのだけれど、愛羽おまんは、あーまた遊び人の主人が何か言ってきたよ‥みたいないつも感と面倒なことを感が微妙に漂っていて、亀屋においての忠兵衛の存在のなさを殊更に感じてしまった。

 

この作品は、冒頭飛脚のダンスと忠兵衛の歌う「旅人夜道を急げ~♪」から場面が亀屋に切り替わり、丁稚の「いらっしゃいませー!」になる流れが天才だなって思っていて亀屋の日常がそこから始まるんだけれど、そこには忠兵衛がいないというのが全てを暗示しているようにも感じた。

そして亀屋の日常にいない存在なのだから、亀屋にいることに違和感があって当然なんだよなという。辻褄が合う。すごい。

 

「心中~」は再演を重ねている作品なので比較ができけれど、複数回されていて更に初演がかなり前なので〇〇さん版が正義という意見が出にくいのが良いなと思っている。

私は今回しか劇場で観ていなくて前回は映像でしか見ていないのだけれど、和希さんと壮さんの忠兵衛は同一人物とは思えないくらい存在感が違った。

壮忠兵衛はしっかり商いをしてきたれっきとした亀屋の主人に見えた。だから1幕が輝いていた。それが梅川と恋仲になってしまったことで運命の歯車が狂い身を持ち崩してしまったという切なさが際立っていたように思う。

逆にそら忠兵衛は破滅しか行く道がなかった。なるべくしてなった結末でそれはハッピーエンドの究極の形にも思えた。現世では行き難かったそら忠兵衛と夢白梅川がようやく辿り着いたユートピアにも思える多幸感溢れる結末に感じられた。

 

それぞれの役者の持ち味を生かした演出をして、同じ筋書きなのに別の物語のようにも感じ更に宛書のようにも思えるのは座付き演出家のなせる技なんだろうな。

そしてもしかしたら、和希さんが雪組に馴染みきらない段階だったからこそ出来上がった忠兵衛なのかもしれないなとふと思った。

心中・恋の大和路を観て

『心中・恋の大和路』は前回の雪組公演では諸事情でスルーしていた。でも今回は贔屓が出演するので何としてでも観なければならなくなって、私にとって面白い巡り合わせの作品だなとぼんやり思っている。

決して好みの作品ではないけど、観劇を重ねるごとに作品の持つ力と魅力に引き込まれていき暫くその余韻に浸っていたくらい味わい深いものだった。

 

ドラマシティで観たのは幕が開いて2日目(7/21)の11時半公演だったので、これからこの演目がどう進化していくのかと少し先の青年館で観るのをとても楽しみに思った。

だから、致し方ないとはいえ公演が期間途中で中止になってしまったことは作品が成長し深化していく面を考えてもとても残念に感じた。

 

当初の大千秋楽がまさかの初日になった8/9の15時半公演は、想像以上に公演が止まり上演期間が空いてしまったことの影響を感じてしまった。

どこが とか、誰が とかではなくて。全体的な集中力とか熱量とかリズムとかの舞台を形作る様々な要素の些細なことだと思うけれど、そういった小さな積み重ねが大きな差になることを目の当たりにした気がする。

舞台は初日の幕が開いてから個々とカンパニー全体での経験が日々少しずつ積み重ねられていくことが観劇の度に感じる「進化」に繋がっているんだと思う。

そして、それは毎日公演が続いているからこそ得られていたものだということと、それが急に途切れてしまうことの残酷さを痛感せずにはいられなかった。

日々更に良いものをと舞台に立っているカンパニーメンバーの目指す先が自然と同じ方向、同じ頂になり高まってゆくエネルギーが一旦分断されてしまってから回復することの大変さを感じた。

役者が噛んでしまったとかは実は思いの外些細なことなんだなとも。

 

だからほんの少しだけ‥あと2回で大楽を迎えることに不安を覚えた。

(もしかしたら、私がこの話自体をあまり得意ではなく話にあまり入り込めないためにそう感じてしまっただけかもしれないけれど‥)

 

青年館での追加公演となった8/10は15時半公演を観劇しました。

終演後すぐに立ち上がれないほど放心していることに立とうとして初めて気が付いた。

感動して大喝采とかではないのだけれど、なんかすごい回を観ることができたぞということをじわじわと実感するような回だった。

 

正直、私はこのお話に共感できる人はいないし、没頭できる要素もほぼ皆無なのでどうしても一歩引いて観てしまいがちになる。

それなのに、この回は気が付いたらこの世界にどっぷりはまっていた。

この作り上げられたいわゆる嘘の世界が本当に実在しているかのような感覚になって、大門を出るかもん太夫を見送る場面では、晴れやかに廓を出る者と残される者の哀愁を感じ、槌屋の可愛い禿もいずれ姉さん達のような遊女になって苦労をするのかと思ったら無性に悲しくなってきてしまったし、忠兵衛が大罪を犯した後、亀屋の伊兵衛や与平、おまんに庄介、三太はどうなってしまうのかなと心配になってしまった。

確かにあの時あの空間に江戸時代大坂の亀屋や槌屋が存在していた、ということを強く感じた回だった。

 

演者側の集中力と客席の集中力と自分のコンディションと‥様々な条件が重なって達成される最高の演劇体験をさせてもらえた幸せな回でした。

日本青年館という劇場の規模もよかったのかもしれない。

 

DCから一番進化を感じてよりこの世界観にはまったと感じたのは諏訪さんだったんだけれど、この日はこの令和版「心中・恋の大和路」与平の決定版だったように感じた。

「そんなんじゃお嫁さんもらえない」とおまんに軽口を叩かれるのも納得の真面目一本で少し冴えない朴訥とした感じがよく出ていた。

また、そら忠兵衛は柔らかで角がないタイプだから、同じタイプの与平とすごく合っているなと感じた。

壮忠兵衛は角があるタイプだったから、その美貌も相まって角があるタイプのれいこ与平と相性がよかったんだなとも思った。

そら忠兵衛とすわっち与平は似たような丸さがありながら、片や浮き足立っていて正に年中お花畑、片やどこまでも真面目一本気で地に足がしっかりついているという対比もよかったなと思う。

 

そんなことを考えているうちに、そうか!演者それぞれの個性を活かしつつ、ベストと思われる組み合わせとバランスを作り上げているのか!?谷先生!と気付いて。その絶妙さに谷先生天才かなと思った。

 

この作品の中で私の涙腺を刺激するのは八右衛門の友を思う気持ちだった。どの場面かは観る回によって違うけれど、この日は新口村で忠兵衛と梅川に路銀と炒り豆を渡すところでグッときた。

路銀と炒り豆を差し出す手に八右衛門の友を思う気持ちの全てがこもっていてその差し出すという動作にウルっとした。

この作品は型があると谷先生が仰っていたように、この場面のこの台詞の時にはこの動作というのが定型としてあるのだと思う。

だから、この場面で八右衛門がこのように手を出すというのはもうわかりきったことなのだけど、千秋楽公演ではこの箇所で感情を揺さぶられて涙腺が刺激された。

八右衛門の友をおもう大きな優しさに心底切なくなって、この立派な人にこれだけ気に掛けてもらえる忠兵衛はそんなにクズではないのかもしれない、などとこの最後の最後になって思えるほど立派な商人だった。凪七さんの人の良さ人格の素晴らしさが反映されたような八右衛門だったんだろうな。。切ない。

 

そういえば、DCで観た時は専科さんの存在の大きさとその力量の違いにひれ伏す思いだった。専科さんが出てくるだけで場が締まるし板の上での求心力も段違いだった。

だから飛脚宿衆のまとめ役に悠真さんが配されたのも納得だったし、凪七さんが登場するだけでこんなにも場面が締まるのかということにも驚いた。

いや、凪七さんをみくびっていたとかではなくて。私が彼女を一番観ていたのが宙組時代だったのでそこから年月を経てこんなにも素晴らしい舞台人になられていたのか!とあらためてその成長に感心をした。

DCでの観劇はまだ初日が開いて二日目だったこともあってか専科さんと歴然とした差があったのだけれど、青年館で観た際にはそこまで気にならなかったから、専科さんと一緒にお芝居をさせていただくことによって得られるもの培われる力というのは確実にあるんだなということを目の当たりにして、専科祭りな次作も楽しみに思えた。

 

東京では2日3公演となってしまったけれど、大千秋楽の公演はそのことを全く感じることのない素晴らしいという言葉が陳腐に思えるくらい素晴らしい公演でした。

初日の心配は杞憂に過ぎなかった。

この回は演者全員が深く澄んだ無駄のないエネルギーで舞台を作り上げていることが感じられて、そしてこの短期間にここまで深化し、高みに到達することができていることに驚いたし感動した。

起こってしまったマイナスな出来事をむやみにプラス変換するのは好きではないのだけれど、この千秋楽公演に関しては中止期間があったからこそ到達できた境地なのではと思えるような出来ばえだった。

その回を劇場で観ることができ更に映像として残るというのは望外の喜びで、それはきっと一生忘れない。

贔屓に堕ちた話

気付いたら3部作の3話目みたいになってしまったので‥笑
その前の話を以下に貼っておきます。よろしければご覧ください。

 

zukakoi.hatenablog.com

zukakoi.hatenablog.com

 

自粛期間明け一番最初の出演公演は全国ツアー公演だった。当然、全国ツアーではなくなってしまったけれど。。。

この公演は初めて役がついた公演だったので、なんとかして行きたいと思っていたけれど当初の予定ではどうやっても観劇は無理だった。
それが2回のスケジュール変更となった結果、無理なく観劇できる日程となったのはこの状況になって唯一良かったと思えることかもしれない。とはいえ、当時の状況で遠征を決めるのはすごくすごく勇気のいることだった。思えば日本国中が出控えていた時期、こんなことでもなければ私も県外に出ることなんてなかっただろうなと思う。
そんな状況下だったけれど、これを観ないと絶対後悔する!絶対観にいかないと!!と強い気持ちが湧き上がり一大決心をして命懸けで観劇を決めた。(すごく大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、当時は本当にそんな心境だった。)

お芝居は初めて劇場で聞いた彼女の台詞が思っていた以上に長いことに驚いた。そしてその台詞がとても明瞭でわかりやすいことにすごく驚いた。
え、何て言っているか全部わかる!すごごくない?すごいよね!?すごい!!と慌てふためくレベルで。
どんだけ低く見積もっていたの?と怒られそうだけど、、正直、思っていた以上のレベルだったことが衝撃で想像以上の出来ばえに静かに興奮し感動していた。

余談だけれど、この日の幕間に次期トップコンビの発表があったことを知った。
彩風さんと朝月さん。
彩風さんに決まったことで、望海さんが彩風さんにバトンを渡せることが確定したことがまず嬉しかったし何より相性が良いなと思っていた咲ちゃんと希和ちゃんのコンビが今度はトップコンビとして見られることがとてつもなく嬉しかった。
誰かと分かち合いたいくらい嬉しい瞬間だったけれど残念ながらソロ観劇だったし知り合いもいなかったので全ての喜びを拍手に託した。こんな状況じゃなければ「おめでとう〜」と叫びたかったくらいだったし、この日は客席も心なしかウキウキしているように感じた。

そして、ショー。
劇場で初めて見た彼女の踊りは私の好みど真ん中だった。(ハリゴシのフィナーレは追いきれなくて。。)
うわー!好きな踊り!!
と思った瞬間、沼を垂直に落ちていくのを感じた。オープニングでの出来事。そして完全に落ちた瞬間(笑)
舞台の上手奥の端っこ照明も届かないような暗がりでよく・・と自分でも思うけれどその時の映像は今でも脳裏に焼き付いている。

私は上半身がしなるように踊る人が好きで、例えるなら音月さんのような踊り‥音月さんも初めて見た時に好きな踊りだと心奪われたな。(昔通っていたダンススタジオの発表会でめちゃくちゃ上手くて度肝を抜かれた小学生がそういう踊りをしていて。そこが好みの原点な気がする。ふと思い出したんだけど。)
なので、舞台上で踊る贔屓がまさにそのタイプの踊りだったことに狂喜してテンションブチ上がって次の瞬間沼底まで沈んだ。
え?ほぼ顔だけで惹かれた人がダンスも好みど真ん中だったってどういうこと??
喜びと混乱とそして出番を追うのに必死になっていたらあっという間にショーは終わってしまってた。

すみれの写真を見て惹かれた時から、ゆるゆると応援していこうかなとは自分の中で決めていて。
でも、本腰を入れるのは会が出来てからにしようかななんていう青写真を描いていた。
だから、このタイミングで踊る姿を見てここまでハマるのは想定外で。
ホント「計画通りにはいかない」(笑)
でも、今とても楽しいから良いかなって思っている。

オデッセイ千秋楽での彩風さんのご挨拶に救われた話

すごくすごく久しぶりに軽やかな気持ちで朝を迎えた気がする。身体が軽い。8/11の朝に感じたことだ。

今年の始め、オデッセイの全公演中止はどう消化したら良いかわからないくらい大きな大きな衝撃だった。宝塚を観始めてから、こんなことは初めての出来事だったし少し時代を遡っても全公演中止はほぼないと思う(多分)。
どう考えても同一メンバーでの再演は望み薄で、、気を揉んでいるうちにも時間は流れて次の公演が上演されていった。それは宝塚は止まらない、いや時は決して止まらないものだということを痛感するものだった。
時は無常にも流れてゆくけれど、痛みは解消されなくて、ずっと血を流し続けている傷口をどうしたらよいかわからず見て見ぬふりをずっとしている状態だった。

小劇場公演で贔屓が心中組に割り振られたことについては気持ちの整理はできたけれど、その公演がDC千秋楽の直前で止まってしまったことは耐え難い出来事だった。
誰も悪くないことも、仕方ないことも頭ではわかってはいたけれど、その事実は重くのしかかってきて身動きが取れなくなりそうになった。
今年の小劇場公演、年始一発目が全公演中止となり、その次の小劇場公演が千秋楽直前で中止となってライブ配信もなしとなってしまったのはあまりにも悲惨で。
まだ下級生なので、小劇場公演こそ顔を知って注目してもらえる大事な機会でもあるので、それをことごとく奪われてしまったことが本当にやりきれなかった。

再出港した梅田芸術劇場での『オデッセイ』は初日を観劇した。正直観ようかどうか悩んだけれど、目を背けても何も変わらないので観ることに決めた。
1月のあの日、文字でしか知ることのなかったオデッセイの世界が目の前に広がっていて、オデッセイに振り分けが決まった日のことを思い出した。

別箱の振り分けでは普段あまりどちらが良いとかは思わないけれど、この時だけはオデッセイが良いなと密かに思っていたから希望通りに振り分けられたことがわかったときは本当に嬉しかったし絶対に楽しい公演になるという確信めいたものがあった。
だから、最大限観劇できるようにスケジューリングをし、グッズも事前に手配して、祭りだ~!!!と楽しみ倒すつもりで準備を整えていた。
ここまで初日を楽しみにして公演を待ち望んでいたのは、贔屓を応援し始めてから初めてのことだった。
というのも、ダンサーなことが周知の彩風さんのダンスショーということはダンスシーンが盛りだくさんなことは容易に想像できるからダンサーな贔屓が踊る姿をこれでもかと堪能できるに違いないということが容易に予想ができたので、楽しみしかなかった。
小劇場公演は必然的に下級生の担うものが大きくなるので、「ル・ポアゾン」も踊る贔屓をたくさん見ることができて本当に楽しかった思い出がある。
それが、全編ダンスショーなんて絶対楽しいに決まっている!と本当に楽しみに楽しみに待っていた。
贔屓が踊っている姿を見るのが本当に大好き過ぎるくらい大好きなので。

初日は彩風さんのご挨拶に心救われて、この日にちゃんと観ることができて良かったと思えたしとめどなく泣いた。
それでもやっぱり、日が経つにつれて観劇された方達がSFBに注目して楽しんでいる様子とかの色々がTLに流れてくるのを見かけると正直いたたまれない気持ちになったりした。SFBは絶対注目される場面で、そこで贔屓は何色だったんだろうな~とか考えてしまったり。。
やっぱり贔屓が注目されると嬉しいし、褒めてもらっているのを見かけると寿命が伸びる。

そんなふうにグズグズ考えてしまっていたから、オデッセイの千秋楽は配信を見るか悩んで悩んで、、結果、見てよかったと思う。千秋楽の彩風さんのご挨拶に前を向かせてもらった。
「今回、乗船が叶わなかったメンバー」と聞くとどうしても、退団された方やスターさん達のことかなと思ってしまいがちだったんだけど(卑屈かな?)、そうではなくて一人残らず全員が仲間であり大切なメンバーだと表現してくれて・・全員の名前を呼んでくれ・・贔屓の名前を彩風さんが呼んでくれた瞬間に大号泣した。
1月のプログラムにはちゃんと名前が載っているし、いたことはわかってはいたんだけど、彩風さんが名前を呼んでくれたことでちゃんと仲間の一員だったんだよ大事な仲間の一人だったんだよと言って貰えたようで。その存在を確かなものとしてくれて心が救われた。
何て心が暖かくて大きな方なんだろう。
大変なときほどその人の人間性が現れるというけれど、彩風さんは思っていたより何倍も大きくて暖かくて人として素晴らしい方だなと感服した(多分、私がそのことに気付けないでいただけだけど)。
以前、前理事長がトップには人格も必要ということを何かのインタビューで仰っていて、そうなのか…うーんといまいち納得できかねていたけれどこの日の彩風さんのご挨拶を聞いてそうだなと納得がいった。宝塚のトップにはそれを必要とされる側面があるなと実感したから。
理屈ではなく実感して納得できるような素晴らしい挨拶だったと思う。

彩風さんが1月の国際フォーラムでのオデッセイをなかったことにしないで、確かにそこにあった公演、でも上演できなかった公演と位置付けてくれたことで私はあらためてその痛みや悲しみ悔しさを美化しないでそのまま抱えていく勇気を貰った。
1月のあの日の後、贔屓にどんな言葉を掛けたらよいのかどうすることが最適解なのか考えあぐねていた時に、もうこれは抱えていくしかないことなんだろうなと思ったんだけれどそれと同じようなことを彩風さんも仰っていて、やっぱりそうなのかな、そうするしかないんだよなとその時に思ったことをより自信をもって捉えることができたし、舞台の向こう側の人も全員が同じではないだろうけれど、観客のこちら側と同じように考えていたということがわかって安心したような嬉しいようなそんな気持ちになった。
もちろん、こちら側からは計り知れない色々やこちら側以上のプレッシャーとか悔しさとかあるだろうから全てが同じとは思わないけれど、この状況において共有できる気持ちもあるということが少し救いにも思えた。
不本意にも負ってしまったこの傷はこの先も抱えていかなければならないのだけれど、それは私も贔屓も同じで、あー運命共同体なんだーーーと思ったらなんだか嬉しくなってしまった。怒られそうだけど。
退団されるジェンヌさんがご挨拶で自分のファンが悔しいときは一緒に泣いて嬉しいときは自分のこと以上に喜んでくれてということを仰っていたのがとても印象に残っていたんだけどそれってもしかしてこういうことなのかな・・なんていう気付きもあった。
贔屓を応援し出してまだそれほど経っていないけれど、こうやって泣き笑いしながら応援していくんだなと思ったら、これも彼女を応援しているあゆみ中のひとつの出来事なんだなと思ったら随分と前向きに明るく捉えることができていた。
それに気づかせてくれたのも彩風さんのご挨拶なので、もう本当に感謝しかなくて一生足向けて寝られない。

立場が上がるほどに発する言葉の影響範囲は広がってくるもので、その中で誰も傷つかない言葉を発するなんて不可能なのではと思うしぼやかした言葉では気持ちは伝わらないし、どんな言葉を発したらどんな影響があるか、その言葉をどんなふうに受け取る人がいるかそんなことを考慮して、でも真意は伝わるようにするって至難の業だと思うんだけれど、それをしてくれたのが彩風さんの千秋楽のご挨拶だったと思う。

タカラジェンヌって、タカラジェンヌでいる間は割とどの方もマイナスなことを発さないでポジティブ変換したことを言いがちだけれどこの時の彩風さんは、マイナスをマイナスのまま捉えてマイナスなこととして発してくれたことが一番素晴らしいと思ったことだし、だからこそ私は救われたのだと思う。
それを発するのはやっぱり勇気がいったと思うんだけれど、それでもそうしてくれたことが彩風さんのすごさなんだろうなと感じた。胆力のある方だなと。
組の全責任を背負える強さと、背負ってしまえる度量がある・・文字にしてしまうと簡単に感じてしまいそうだけどそうそうできることではなくて。

個人的には、舞台人や芸能人なんかの芸を売っている人達に対して、私生活についてはあまり興味がないしその人の本分の芸をちゃんとやってくれれば良いと思っている。タカラジェンヌに対しても、私生活や人間性にまで「清く正しく美しく」はあまり求めていないタイプだ。
けれど今回強くてしなやかで度量の大きな何よりやわらかな優しさが全てにあふれている彩風さんを見て、彩風さんがトップさんでよかったと思ったし自分の中でトップさんに求めるものに変化が生じたことを感じた。。
同時に組のトップの担う範囲の大きさにも気付いた。平常時ならばそこまで意識することはなかったと思うけれど、こんな状況だからこそトップさんの姿勢や精神性が組子、そして組ファンに及ぼす影響の大きさをすごく感じて。
だから「人間性」を挙げることにも納得がいってしまった。
そこまで求めるのか・・という途方のなさも同時に感じつつ。


これは蛇足なんだけど、今回すごく実感したのは人間のキャパシティって決まっているんだなということ。
何か心配事や心が重くなること、気にしていることがあるとそのことで心の容量を使ってしまうので、日常をその残りで過ごさなければならなくて残りが少ないほど余裕がなくなって少しのことでもすぐイライラしてしまったり、やる気も出なくて必要最低限のことしかできなかったりするし、全然気持ちが晴れきらない。
ン十年の生きてくれば何かしら心に抱えていることなんていくらでもあるし、それなりに色々と経験もしているけれど、今回彩風さんの千秋楽のご挨拶を聞き、心中の千秋楽を迎えられた翌日があまりにも気持ちが晴れやかで身体が軽かったのでその影響をあらためて実感せずにはいられなかった。きっと心中の千秋楽で贔屓の笑顔を見られたのもあると思う。すごく嬉しかったし安堵したから。
心に余裕があって平安を保てていれば少々嫌なことなんかがあっても、あまりそれには動じずに対応できるし柔軟に受け止められる。
どんな時もそんな精神状態でいたいな~とあらためて思うのでした。