宝塚に恋をして

私が恋した宝塚について徒然に。。

2度目の恋 ‐再びの沼へ-

宝塚と距離をおいて早数年、暫くはいいかなと思っていた筈だったのに、まんまと舞い戻ってきてしまった。

恐るべし、だいもん(望海風斗)。。。!

宝塚は一度はまると抜けられない沼みたいなもので、魅力的な分、私には自制も難しくて、色んな意味でだんだんしんどくなってきたんだよね。なので、抜けるチャンスが訪れたときに、これ幸いと一気に距離をとって観劇回数をガクンと減らした。

そして、ここ数年はトップが変わったくらいの情報は拾ってはいたけれど全く観劇はしていない状態だったから、だいもん(望海風斗)のトップお披露目公演も華麗にスリーするつもりでいた。ただ、だいもんはお茶会に行くくらいには好きだったから、トップスターとして舞台に立つ姿を一度は拝んでおきたいな~くらいには思っていた。

そんな今年に入ったある日突然、本当に突然、啓示のようにだいもんのお披露目公演を観に行かなければいけない気がして、その数週間後、数年ぶりに観劇へ出かけた。

我ながらこういうときの行動力には笑える。

通いなれた劇場はよい意味で変わらず、懐かしさと安心感に包まれたことで、馴れ親しむくらいには通った事実を今更ながら肯定できた気がした。

予習もできてなければ、最近の宝塚事情もわからない観劇は不安と期待が入り混じって落ち着かなかったけれど、幕開きからテンションが一気に上がって叫びそうになった。

群衆の迫力が素晴らしくて。雪組の持つ美しく繊細なハーモニーはそのままに、私が知っている雪組とは段違いなパワーが舞台から押し寄せてきていて。実はこの雪組のアンサンブルのおとなしさは、私はずっと物足りなく感じていたところで。繊細で美しいハーモニーと押し出しの強い迫力は両立は難しいのかなとも思っていたところ、そこを見事に両方させていたことがなんだか雪組らしくもあって嬉しかった。

そして、それがだいもん率いる雪組で実現できていたことが更に輪をかけて嬉しくて、既に立ち位置不明。

暫く宝塚から遠ざかっていただけあって、どれが誰かもよくわからず、早々に諦めてストーリーを追うことに。

だいもんマクシムは、登場したときはトップだとわからないくらい存在感もオーラもなく、むしろ咲ちゃんダントンのほうが存在感が大きく目立っているくらいで、その他大勢に紛れていているトップなの?え⁈ということに驚いていたら、恐怖政治へ突き進むにつれその存在感と輝きが増し大きく光り輝いてたことに今度はそこまでの芝居ができる役者だったことに更に驚いて。

元々、だいもんは芝居巧者だと思っていたけれど私が捉えていた以上のポテンシャルに、驚愕し平伏したい気持ちになった。というのも、私は望海さんは努力型の天才だと思っているので(ほめ言葉)。

余談だけど、ジェンヌさんの成長過程、変化していく様子を見させて貰えるのも宝塚ファンの醍醐味だよなと思うので、2番手時代のだいもんを全く観れてなかったのはもの凄い後悔することなのでは…気づいてしまった。

そんなだいもんマクシムは、ロベスピエールという人物は実際もこんな人物だったのかもしれない。理想を追い求めるあまり、盲信的に恐怖政治へと向かっていってしまったのだろう。と思わずにはいられない人物のつくりあげ方で、その説得力には舌を巻くほど。あっという間に「ひかりふる路」の世界に引き込まれていた。

そして、狂ったようにわが道を突き進むほどに発光し存在感を増していくだいもんマクシムと、そこに狂信的な執着心をみせるあーさの絡みの2人の光の放ちかたが、雪組では観たことのないもので一瞬自分は何組を観ているのかわからなくなってしまって、あとからああそうか、2人とも組み替えで来たんだよなとなった。組カラーがなくなったと言われて久しいけれど、やっぱり組ごとにつくられる男役はそれぞれあって、光の放ちかたが異なるんだろうなとひとり納得してしまっていた。

 

もう既に、お芝居の段階で宝塚の楽しさにすっかり虜になり・・ああやっぱり宝塚好きだ大好きだとあっけなくやられてしまい、定期的な劇場通いを心に誓ってしまった。

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今度は、宝塚と大人なお付き合いをしよう。。